人を許すことで自分がもっと幸せになる宇宙の法則
今日は、徒然なるままに久しぶりに自分のことを書いてみようと思います。
そして、テーマは「許すこと」
今ではすっかり忘れてしまったことですが、過去、人にお金を貸すために、相手の分を自分のクレジットカードを切って支払いを肩代わりしたために、返済日までに約束どおり支払われず、大変な思いをしたことがありました。
その日から、人の分まで返済する毎日が始まりました。
請求書を見るたび「馬鹿なことをしてしまった」と自分のことを責め、返さずに逃げた相手を恨み、涙を流す日々。
一刻も早く返し切ろうと、仕事を増やして、身体がくたくたになるまで働き、「くっそー」と心の中で叫びながら、銀行へ振込をして返済していました。(笑)
多分、今思えば、身体を痛めつけて酷使させて、自分と相手への恨みの気持ちを表現していたのだと思います。
そう、怒りのエネルギーってすごい、っていうか恐ろしい…(笑)
その恨みと怒りのエネルギーのおかげで、頑張り続け、10カ月程でその分は完済しました(笑)
その代わり、その10カ月間で私に起きたことは大変なことでした。
私が攻撃と恨みのエネルギーを発信し続けていたので、職場では嫌味言われる人に出会い、陰口をたたかれる。
SNSでは私が発端となり、言い争いが始まり、もめごとが治まらない。また親しい仲間や友人からの言葉も、厳しいものでした。
その当時は自分も精神的にも肉体的にも必死で何か起きているのか?わからなかったのですが、
暫くして、冷静に自分のことを見れた時、私の発していたエネルギー通りに次から次へと負を引き寄せ、実際に攻撃するされる状況が続いていました。
そんな恨み辛みの中・・(笑)私は自分の人生の指針となる「内観法」を持っていたのが救いでした。自分の世界で起きていることを「自分の内側が引き起こした」とみれる、責任のとれる高度なテクニックで、私のような「被害者」の経験をしている人が最初にやるといいプロセスは「許しのワーク」でした。
日常の些細なこと、傷ついたこと、返済とその労働の苦しみ、恨み、辛み、あれもこれも・・・(笑)
あらゆることを丁寧に扱いました。
そして、こんな内観法をやりながら、10か月後、帰ってこなかった金額分を全額払い切った時、返済と同時に、負のエネルギー達も終わらせていけたのです。
でも、その後の数年間、私の中にある2つの考えと感情が長引いていていました。
それは、私がもっときちんと請求して返させるという責任を感じる必要があるのでないか?ということ、相手が返済できるとそれは相手の人生とってもものすごく開放されることだからです。その責任を自分がとっていないことを責めていました。
それから、もうひとつは、「あ、今あのお金が帰ってきたらもっと楽になるのに・・・あれも買える、これも買える、というもしも、トーク・・」(笑)
暫くの間、まだ心の中で、悔やみの気持ち、自分自身を責めて、自分が不幸なのは相手のせいだと、相手を責めて攻撃する、ということをやめられませんでした。
そして・・・・
その出来事があってから、5年くらいたったある日、さすがにこの長引くエネルギーをもう止めようと決めました。
自分の源のチカラをもっとパワーアップさせたいと思ったのです。
カードを代わりに切った日、その請求金額が一括して請求された時、私にとってはとてつもない金額で、大変な額のように思えました。
でも、もう返済しきった後、相手がどうの、自分があの時こうだったという昔話に数年費やすには、本当に些細なたいしたことのない額に思えてきました。
私は自分の高い次元の自己のと繋がれるように静かにエネルギーを集中させました。
集中させ静けさに向かい始めると、たくさんの雑音と誘惑が声をかけてきました。
「もし、あの金額が一気に帰ってきたら〇〇ができるよ」だから、「あ~あの金さえあれば・・」といつまでも悔やんでおきたい。
「相手を許せない、まだ返していないとと、苦しみ続けよ」という執着心が聞こえていきました。
そんな誘惑の中、自分のハイヤーセルフの決断と洞察を探すべく、静かにその方向へと注意を伸ばして続けていきました。
そうすると、ふとエネルギーが緩んだ地点に到達したのです。
「もし相手が肉体を終わらせる直前に私は何を贈ることができるのだろうか?」という問いです。
そして私の意識はこう答えました。「許されたこと」
私は自分自身と次に思考のスペースに戻りました。
そうだ、もし自分が逆の立場だったとして想像したら、相手は意識のどこか罪悪感は消えることはない。顕在的な意識では自分は悪くないと思っていても、、潜在的な意識では、記憶している。
もし時が経ち、今の肉体が終わり、魂のみになっていく瞬間、どんな記憶を相手に残したいだろうかと考えたとき、「許されたこと」が残るといいなぁと思ったのです。
それは我ながら言い考えでした。相手がした些細な人間の過ち、大したことはないのです。
同時に、もし私がこの世を終える時、過去、私が未熟ながらも人を傷つけてしまったこと、犯してしまった過ち、これらを誰かが許してくれていたとしたら、それは本当にありがたいことで、嬉しいなと思ったのです。
自分がしてほしいことを相手にあげららえること、これはちょっとした喜びでした。
そして、もうひとつ洞察がありました。
私はずっとお金を返して欲しいという想いの中に、相手を苦しませたい、という意図を持っていたんだと気づきました。
そして、何より、自分が相手になげかけた意図に自分が苦しんでもいたのです。
完璧でない人生の中で、たったあれだけのことで、いつまでも苦しみの中に閉じ込めてやりたいと願い続ける…
こんな馬鹿々々しいこと、ふっと笑いが込み合上げてきました。
同時に、自分が許されたことに気づいて、涙がこぼれてきました。
そして、おこがましいですが、この出来事からあなたが許され解放れますようにと祈りました。
これは自分に対しての祈りでもあったと思います。
この時から、私は自分に対して優しくなっていることに気づきました。
何か失敗した時、うまくやれてないとき、なかなか現実が進まないとき、何かを得ようとかうまくいかせたいとか、執着しているエネルギーをすぐに溶かせるようになりました。
物を買う時、捨てるとき、そして、失った時、またお金を得るとき、失う時、そしてチャンスを得る、失う、人が離れていくこと、、
それが通りすぎることを観察して、手放して許していけるようになりました。
人は人を許した分だけ、自分を許すことができる。
意識、魂の世界は主語がなく、自分と相手の境界線がないと聞いたことがあり、それはまさしくそうなんだ~と実感しました。
人を許せていないとき、それは同時に自分のことを許せていないサイン。
そして、人を許すことで、自分が自分に対して寛容になり、許せていける、それは本当にほっとするような経験です。
ダライマラの慈悲の瞑想にもあるように、
〇〇さんがみんなから愛され健康で幸せでありますようにという言葉を、周りの人と、自分自身へもかけてあげること。
そうすることで、どんどん許しと幸せが増えて、私とあなたの人生に愛が溢れていきますように。と想いを込めて、徒然なるままの呟き日記でした。
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