離婚という愛のカタチ
年末のこの時期に、突然、「離婚」というテーマでブログを書きたくなったのは、TVで騒がれている芸能人の離婚報道をみて思うことがあるから…(笑)多分、多くの人が心の中で突っ込んでいると思う。
「ほっといてあげたらいいのに…」(笑)
そして、個人的に離婚の経験のある私は「そっとしておいてあげてほしい。」と思う。芸能人や有名人の方が、離婚とか不倫とか、別れ話の話題とか、ニュースで騒がれるのは彼らがそれだけ世間への影響力が大きいからなのだろうけど、「人が人とお別れを経験する」というのは繊細なことで、それはとても大切な時間なのになぁって思う。
どんな理由であっても付き合っていた人とお別れをするとき、心が整理されて落ち着くまでは、その傷はちょっとしたことで痛む、だから、あれだけ騒がれている心境はどんなだろうと想像すると、「そっとしておいてあげてほしい」と思う。
離婚とは✘イチではない
離婚のことを「✘イチ」という言い方が世間で定着しているのだけれど、わたしもついネタでこの言葉を使ってしまうことがあるけれど、この「✘イチ」っていう世の中の評価が「離婚とはそういうものだ(離婚とはバツだ)」になっていると、とってももったいないと思う。
経験者のわたしなので、自分が離婚するとき、一番嫌だったのが実は「周りの目」(笑)
これは人によって違うのだろうけれど、日本だけでなく世界中どこへいっても芸能人の離婚が大ニュースになるくらいに、「結婚は成功♡離婚は失敗✘」という常識がある中に一歩踏み出すわけなので、自分の中にある、「離婚は失敗」という考えに反応する。
だから今から思えば、周りの目が気になって、失敗をネタにして、やたらと明るく離婚について語るというようなことをしていたと思うとそんな自分を今は愛おしく思う。
そして、周りの目の中で、一番心苦しいのが「親」に報告すること、子供はいつだって親が心配かけないような幸せを創りたい、そして無意識に親の評価、賛同を得たいと思っているから、親にショックなことを報告することって結構ハードルが高い。
そんな中で、子供がいてもいなくても、結婚という社会で認められた関係を終わりにするのは、その人の人生の中でいろんな自分自身を経験するとても大切な時だと思う。
誰かを好きになって、人生を共にしようと結婚して、自分たちの新しい家族を創り始める。そうして、その関係がうまく保てなくなって離婚する。離婚しようとしているときは付き合い始めたときのようなトキメキ程はなくても、人と人が別れるというのは、やっぱり切なくて寂しくて、そして感慨深いものだと思う。
この感慨深い状態に✘なんてつけたら、もったいないと思う。
離婚とは自分の人生と向き合うこと
離婚の仕方、お別れの仕方がうまくできなくて、相手ともう二度と会いたくない状態や、相手を憎んだり、時には相手から逃げ出すような形のお別れであっても、それはそれまでのその人との人間関係と、そのお別れがうまくできなかっただけ。
だから、離婚しておめでとう、でもなく、敢えてマル〇とか、そこにすぐには評価はなくて、「自分の中にどんな学びがあるのか?」というところに注目したらいいと思う。
「離婚」ということを、自分の大切なパートナーシップとの人間関係がどうだったか?を見たときに、「最も自分自身」が浮き彫りになってくる。
自分が正しいと思っている考えや、やり方を相手の考えに価値を置かずに押し付けたこと。
自分を守ろうとして、相手の夢や挑戦を止めてしまったこと。
お金の使い方や、生活の分担や、将来のビジョンなどをきちんと共有しなかったこと、きちんと話合わない理由に自分自身の利益になるように勝手にしてしまったこと。
自分が我慢していることを相手のせいにしていること。
自分が疲れていることや、自分で自分が管理できないことを相手に当たって感情をそのままぶつけてしまっていること。
甘えていいということが当然の権利になってしまったこと。
大切だった相手を大切にできなくなったとき、そこには人と人間関係を築いていくためのヒントと学びがたくさん詰まっているとそう思う。
自分自身と自分の人生を見つめることができたとき、本当に、相手の人生にとって何が一番重要なのか?を見れるようになるのではないかと思う、夫婦関係は生活を共にしているだけ相手と自分は違う存在なのだということが見落とされてしまいやすくて、自分と相手が一緒になって見えなくなってしまっていることがあると思う、だからこそ、自分の人生にとって大切なこと、相手の人生にとって大切なことを本当に育みあっているカップルは素敵だなぁと思う。
離婚とはお互いの変化のかたち
もし、自分自身が相手と出会った当初と変化しているということを内側に気づいたとき、そして、相手も同じように変化しているということに気づくかもしれません。最初は好きだったのに、もう一緒にいれない…にはいろんな理由も原因もありますが、「お互いが変化している」という成長の側面もあるのだと思います。
その成長の変化を感じてお互いの価値観や将来の方向性の微妙な違い、これをカップルのうち、どちらかが先にこれに気づいて行く過程で、相手を自分の元へとどめておきたいと恐れからエゴが騒ぐのだけれども、それを通り越して「相手に起きたこころの変化」を許していけるのは「愛」だと思う。
だから、一度結婚した人と、お互いを切磋琢磨して、関係性を築いていくお互いを成長させあうことも素敵だし、お互いの変化が別れることがお互いの未来を最良のものになる直観を感じているなら、本当にそれもものすごいエンパワーだと思う。
私自身も自分が離婚を経験したとき、自分のことを深く見つめていってもなお、本当に何が正解なのか?なんて全くわからなかったし、とてつもない混沌に襲われた。冷静で正し答えなんてその時にはわらからなくていいのかもしれないなと思う。いずれにせよ、家族や、パートナー、友達、仕事の人間関係、すべて自分自身が相手に対してしてどうなのか?という自分との対話に尽きると思う。
どんな自分になることも、どんな感情が溢れてくることも、そんな自分を許していけることも自分への愛だと思う。
離婚に関わらず、人生のどんな経験からも「愛」を見つける、産み出していけるそんな人になりたいなと思う。